2014年8月10日日曜日

創世記1:1-2:4a「世界は安息に向かう」

聖書の最初の巻の最初の言葉に、聖書のメッセージが凝縮されているように思います。「初めに、神は天地を創造された。」神が創造されたこの天と地には神の祝福が充ち満ちています。神は光を造り、空と陸を造り、草木を造り、天体を造り、水の中の生き物と空の鳥を造り、それぞれの生き物を造り、人を造ったとき、御自分が造ったものをご覧になって、「良し」とされました。それは極めて良かったとおっしゃいました。この「良い」という言葉には目的に適った美しさという意味があります。神は私たちをご覧になって「美しい」とおっしゃるのです。皆さんはご存知でしょうか、ご自分の美しさを。あなたは美しいのです。神がそうおっしゃっています。神があなたを祝福しておられるのです。神が祝福してくださっているということは、私たちが神のものだということです。その事実を確認するのが、七日目に訪れる安息日の祝福です。「この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された」とある通りです。私たちには6日間の仕事があります。それどころか6日間では足りなくて、もっとたくさん働かなくてはならないこともしばしばです。日曜日に礼拝を献げること、そのために神さまに時間を献げることにはある戦いが伴います。娑婆の生活が聖日を凌駕するかのようです。しかし、聖書の初めの言葉に聞くと、事情は変わってしまうのです。「第七の日に、神はご自分の仕事を完成され、第七の日に、神はご自分の仕事を離れ、安息なさった。」安息の日をもって、神は6日間の仕事を完成なさいました。6日間の娑婆の生活を完成されたもの、聖なるものとするのは、7日目の安息の日の祝福です。私たちの一週間はすべて丸ごと神のものです。神が祝福してくださっているのです。その事実を、私たちは安息日に知ります。勿論、日曜日に必ずしも休むことができない仕事はたくさんありますし、私たちの社会はそういう仕事によって支えられています。だからこそ、今ここで7日目の神の安息を覚えて時間を献げる人がいることは尊いことです。この世界はきれい事だけでは済みません。神がお造りになった世界には、光だけではなく、闇もありました。夜も残されていました。敢えて言えば、蛇もいる世界でした。極めて良いこの世界で、しかし、神を失ってしまうと神の光を失ってしまいます。その時、私たちの罪は深く、その深淵は混沌としています。神に光を灯して頂かなくては生きられないのです。私たちは娑婆の深淵から十字架を見上げます。私たちは神のもの。この祝福の事実を私たちが決して忘れることのないために。

2014年8月3日日曜日

使徒言行録12:1-24「熱心な祈りを神は聞いて」

教案誌「成長」のカリキュラムに従って使徒言行録を読んできましたが、今日で一区切りです。使徒言行録は天に昇る主イエスが使徒たちに、あなたがたは私の証人となるとおっしゃったことから始まりました。そして教会がどうやってキリストの証人として生きたのかを伝えています。使徒言行録によれば、彼らは何より祈る教会でした。今日の箇所でもそうです。「教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。」この「彼」というのはペトロのことで、ヘロデ王の迫害のために捕らえられ、投獄されていました。教会はヘロデが支配する世界で祈り続けたのです。約2000年経ち、今でも彼の地では暴力の応酬が続いています。20節を見ると、キリスト者ばかりでなく、ティルスやシドン地方に住む人々もヘロデが食料の流通をにぎっていたために彼に従わないわけにはいかなかったようです。同じことが今でも起きています。こんなに大きな力を前にして、教会に一体何ができるのかと思います。教会は、祈り続けました。しかも、熱心に祈りました。希望を絶やしませんでした。その希望はどこから来るのか。復活です。今日の聖書の箇所には復活という言葉は直接には出てきません。しかし、隠された主題は復活信仰です。そもそも事の始まりは使徒ヤコブの殉教、即ち死です。そして投獄、天使の登場、神の力による救出、出迎える女、男の弟子の不信仰といった具合に、福音書がキリストの十字架と復活を伝えるのと同じモチーフがいくつも登場しています。ペトロが牢から解放されたことを、まるでキリストの復活をなぞるように描いているのです。復活の信仰は、うっかりすると現在の私の命にはあまり関係のない、遠い未来の話のように考えてしまいますが、そうではありません。今、ここで、どういう望みをもって祈り続けるのかということに深く関わっているのです。しばらく前、成瀬教会のY君のために祈って頂きました。まだ二十歳の青年ですがくも膜下出血で倒れ、私たちも彼のために熱心に祈りました。手術が成功し、彼は今元気になりました。更にこの出来事を通して祈りを取り戻したそうです。教会の人たちに祈られていることへの感謝が溢れているそうです。お父様とメールのやりとりをしましたが、聖書の言葉を引用して、「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった」とおっしゃいました。神の息子である自分を取り戻したのです。教会はどのようなときにも祈り続けます。このヘロデの世界で傷つき痛む人々のために。

ルカによる福音書1:46~56「歌いつつ迎えよう、クリスマスを」

クリスマスには讃美歌が溢れています。キリスト教会の礼拝には歌が欠かせません。特にルカは賛美を愛した人です。ルカによる福音書にはたくさんの賛美が残されています。マリアの賛歌、ザカリアの賛歌、主イエスがお生まれになった夜の天使の歌、シメオンの賛歌。思えば、どれもクリス...