2015年1月14日水曜日

詩編第119編9から16節(ベート)

(私訳)
9 どのようにして 清く保つのか 若者は 彼の小道を
  守ること あなたの言葉の通りに

10 すべての私の心において 私はあなたを捜し求めた
  ない 私を踏み誤らせてください あなたの戒めから
11 私の心において 私は隠した あなたの仰せを
  ように ない 私が罪を犯す あなたに

12 祝福された者 あなたは 主よ 私に教えてください あなたの掟を

13 私の唇で 私は物語った すべての 裁きを あなたの口の
14 道を あなたの定めの 私は喜んだ 上のように 全ての宝の
15 あなたの命令を 私は黙想しましょう
  そして私は見ましょう あなたの小道を

16 あなたの掟を 私は大いに楽しみます

  ない 私は忘れる あなたの言葉

この詩編の構成
ベートから始まる第二連は大きく分けて5つの段落から構成される。まず、9節に「あなたの言葉」とあり、同じ表現が16節でも繰り返されている。9節冒頭が問いで始まっていることからも明らかなとおり、「あなたの言葉」を含む9節が導入、16節が結語となる。次に、10節と11節には同じ「私の心において」という表現があり、心の動きを表す。それに対して13から15節には「私の唇」や「私は見ましょう」と口や目の働きが示されている。「心」と「口や目」で対応する。その中心が12節であり、詩全体がキアスムス(軸対応)構造を形づくっている。また、日本語訳ではわかりにくいが、12節以外の全ての節の冒頭の単語は同じ前置詞「ベ」であり、12節だけがそうではない。これも12節が軸になっているしるしである。
Aと(9と16節)
「どのようにして」という問いから始まり、それは「あなたの言葉の通りに守ること」である。そして、その「あなたの言葉」を私は楽しみ、それを忘れないと告白している。従って、若者が自分の小道を清く保つのは主の言葉を守ることによるのだが、それは主の言葉を楽しむことであり、だから掟を忘れることがないのだ。従って、導入と結語で示されるこの詩のテーマは、主の言葉を守る者が楽しみとさえ言いうる主体的な御言葉への関わりである。そういう姿勢で主の言葉を守れば、その小道は清く保たれる。
Bと101113から15節)
ここは更に4つの小段落に分けることができ、前半と後半が対応している。まず、10節は15節と対応する。双方に願望形の動詞がある。心を尽くしてあなたを求めた私を、あなたの戒めから踏み誤らせないでください。そして、私はあなたの命令を黙想しましょう、そして、私はあなたの小道を見よう。心の動きと目の動きを主に向ける。また、11節と1314節では、心に主の仰せを隠す(秘蔵する)が、それは秘密にするためではなく、口で物語り、また喜ぶためだ。このようにこの対応関係では心と口と目と歩みにおいて主の戒め、仰せ、裁き、定め、命令を求め、宝とし、物語り、黙想するという全身全霊を傾ける姿を描ききっていると言える。
C(12節)
中心軸に据えられた12節は主への讃美と祈りである。この連で唯一「主」という神のお名前が登場するのはここであり、しかもここでは「あなた」と主に呼びかけている。この節の動詞「祝福する」は人に対してはこの意味になり、神に対して使われるときには普通「讃美する」と訳される。「主よ、あなたこそ讃美される方」と言っているのだ。また、「私に教えてください」は動詞の命令形であり、祈りの言葉になっている。この讃美と祈りが主の言葉を喜び楽しみ、全身全霊をかけて守る者のまさに「軸」なのである。
祈りのために
主イエスが律法の急所を教えてくださった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにはない。」心に思い巡らし、唇に上らせ、目を向け、主の道を歩む。それは主への愛に生きることに他ならない。主が教えてくださった愛に喜んで生きる者は主への讃美に生きる者なのである。

資料
https://drive.google.com/file/d/0B2xNZrl4svuJa1FTaExsZ21WSnM/view?usp=sharing

2024年3月29日の聖句

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