主イエスのお言葉はとてもイメージ豊かです。「空の鳥をよく見なさい」「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい」。よく見なければ見逃してしまう、注意して見なければ気づかない神のご配慮をよくご覧なさいと言われます。主イエスに喚起されたイメージは広がり、私たちも、身近にいる信仰者をよく見てみたならば、そこでもやはり同じように神のご配慮を見ることができることでしょう。神を信じる者は、自分が神の父としての慈愛によって生かされていることを信頼して生きているのです。空の鳥は神が養ってくださいます。野の花は神が美しく装ってくださいます。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、と主は言われます。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」だから、思い悩まなくて良いのです。これは神の祝福と父としての慈愛に満ちた、約束の言葉です。私は今日の聖書の御言葉を読みながら、いろいろなことを考えました。卑近なことを考えました。家計簿をつけて良いのか、生命保険に入って良いのか、身なりを整えおしゃれをしても良いのか、などという些末なことです。しかし、そういう些末な生活上のことが案外大切なのです。信じることは、生活することだからです。毎日のメシの話、衣服の話を主イエスはなさっているのです。信仰は心の問題ではありません。私が学生の頃に信仰の指導をしてくださった牧師は、あなたがどう神を信じているのかは、あなたがどうお金を使うかに表れると言っておられました。その通りであると思います。そして、得てして、金は私たちと神様との間に割って入ってきて、神を信じて生きることを邪魔します。「命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか」と主イエスは言われました。当たり前です。しかし、この当たり前が当たり前でなくなる本末転倒がよく起こるのではないでしょうか。お金は生きていくため、命のため、食っていくためのものに過ぎません。しかし、いつの間にか貯めること自体が目的になります。そうでないと不安だからです。ある程度貯まると、神無しでも生きていける気になるので、いつの間にか神様を忘れてしまいます。これを本末転倒と言わずして何と言うのでしょう。主イエスは「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」と祈れとお教えになりました。しかし、本当は、今日の糧が今日になってから与えられるのでは遅すぎるので、明日の分もほしいですし、この先一生分がほしいのです。主イエスはそういう気持ちをよくご存知の上で私たちにチャレンジなさいます。「明日のことまで思い悩むな」と。なぜなら、神は私たちの父だからです。この方はご自分の御子をくださり、御子と共に私たちに必要なすべてのものを必ず下さるのです。
2024年4月20日の聖句
私は必ずあなたを助け出す。剣に倒れることはない。あなたの命はあなたの戦利品となる。あなたが私を信頼したからであるーー主の仰せ。(エレミヤ39:18) イエスはその犯罪人に、「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカ23:43) 主イエスが十字架の上で...
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主イエス・キリストが、安息日になるといつものように会堂に入り、聖書を朗読なさいます。これだけでもう慰め深い言葉です。私たちは今主がそうなさったのと同じように、私たちの安息日である主の日、日曜日に教会堂に集まって礼拝を献げています。今日、ここに来られな...
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詩編29~30 主は洪水の上に座し 主は王として、とこしえに座した。 主がその民に力を与えてくださるように。 主がその民を祝福してくださるように 平安のうちに。(30:10~11) 川の水はかの平清盛にさえもどうにもならないと言わしめたと聞き及んだことがあります。私たち人間の...
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今日の通読箇所:ルカによる福音書7:24~50、ヨシュア記1 8、詩編124~125 ヨシュア記18; 「あなたがたの先祖の神、主が与えられた地に入り、所有するのを いつまでためらっているのか(3節)」。すでにイスラエルの五つ の部族には所有地が割り当てられましたが、 まだ...