2015年8月2日日曜日

創世記第28章10から22節「石の枕で寝る日にさえも」

ヤコブはとてもしたたかな男です。双子の兄エサウがいました。当時、家督は長男が継ぐことになっていましたが、ヤコブは兄と父を騙して、それを奪い取ります。怒る兄の手を逃れて荒れ野に行き着いたヤコブは石を枕に野宿をしました。ずっと私にはヤコブはずるい人で、自分のことしか件が得ないワガママな人のように感じていました。しかし、日本人の私から見て小ずるいヤコブは、もしかしたら彼の文化の中では知恵を使って世を渡った人なのかもしれません。私たちだって、考えてみればただのお人好しでは荒波の中を生きていけないのです。しかし、知恵を使ったヤコブは、その結果独りぼっちになりました。家族を失ったヤコブの石の枕は、孤独の象徴です。そんなヤコブが夢を見ました。自分が石の枕で寝転んでいる地に、先端が天まで達する階段が地に向かって伸びていたのです。ヤコブのところから、階段が天に向かって昇っていたのではありません。ヤコブのところへ、天に達する階段が伸びていたのです。つまり、天がヤコブのところにまで降りてきたのです。石の枕で寝ている地面の上で、ヤコブは主なる神と出会いました。ヤコブが順風満帆に生きていたときではありません。家族に恵まれ、仕事が上手くいっていたときではないのです。仕事も家族も失い、一人で惨めに硬い石を枕に寝ていたときに、神が、ヤコブと出会ってくださったのです。神を信じるのに相応しいタイミング、或いは教会員籍を移すのに良いタイミングは、平穏無事なときではありません。今です。今、主なる神はあなたの側らに立っておられるのです。そのことに気づいたとき、ヤコブは言いました。「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」神と出会うための神の家、天の門を、私たちは必要としているのです。そして、それは、ここです。この教会です。主なる神と出会う、それは具体的に言えば、神の御言葉を聞くこと、そして、聞き続けることです。主なる神はそうやってヤコブと出会われました。今神があなたに御言葉を聞かせてくださり、あなたが神を礼拝しているこの場所で神はあなたと出会ってくださっているのです。この神の家で神が聞かせてくださる御言葉は、彼の父祖が聞き、そして今彼自身もこの私のための祝福として聞いた、約束の言葉です。「わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」神は、畏れ多いことに、何のいさおもない者を敢えて選んで、ご自分のものとしてくださいます。この神が、今日もまた新しく、あなたと出会おうとしておられます。

2024年4月24日の聖句

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