2015年11月1日日曜日

エステル記第4章13から14節「あなたにしかできないことを」

昨日、さがみ野教会が所属しているカンバーランド長老教の青年たちの集まりがありました。北海道の教会の牧師、青年への伝道に力を入れて活動している先生を招いて、賛美の集会をしたのです。大勢の青年が集まり、喜んで神を賛美する歌をうたっていました。規模が大きな集会でしたが、実は今年の中会青年会には役員が一名しかいません。希望が丘教会の青年が一人で会をまわしています。昨日の集会のためには大勢の協力者がいましたが、責任は彼が一人で負って集会を開いてくださいました。責任を一人で負うというのには、孤独なこともあっただろうと思います。準備を始めてからここまで熱心に奉仕してこられたことを思いつつ、昨日ステージに立つ姿を見て、胸が熱くなるものがありました。今日は旧約聖書のエステル記を読んでいます。エステルという一人の女性が登場します。彼女もまた孤独な決断をせねばならなかった人です。ユダヤ人エステルはひょんなことから捕囚民として暮らしていたペルシアの後宮に入り、王妃になります。エステルは自分がユダヤ人であることは黙っていました。王はエステルをたいそう気に入り、寵愛を受けます。しかし、同じ頃、王宮に仕えるハマンという役人がユダヤ人を憎み、1年後にユダヤ人を殲滅しようという計画を立てます。在ペリシアのユダヤ人立ちの間で大いなる嘆きが起こります。それで、エステルの養父モルデカイはエステルに手紙を書き、民族の危機を救うべく王に懇願するように求めました。しかし、当時のペルシアは徹底した男尊女卑社会。王の召しがなく王に近づけば、例え王妃であろうとも死刑に処せられるかもしれません。エステルは当初難色を示します。そこで、モルデカイはエステルに重ねて言いました。「他のユダヤ人はどうであれ、自分は王宮にいて無事だと考えてはいけない。この時に当たってあなたが口を閉ざしているなら、ユダヤ人の解法と救済は他のところから起こり、あなた自身と父の家は滅ぼされるに違いない。」そこで、エステルはモルデカイと他のユダヤ人の仲間たちに、三日間の断食による祈りを求めつつ、言います。「定めに反することではありますが、私は王のもとへ参ります。このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります。」エステルは今一人です。アドバイスをくれる養父や祈り支えてくれる仲間はいても、実際に行動すべきはエステルただ一人。孤独に思考し、行動するのです。しかも、これは賭です。神のお姿は見えません。どこで何をしておられるのか、本当に救ってくださるのか、保証はありません。しかし、神がおられないようにしか見えない場所で、神と共に生きます。必ず、神が救ってくださると信じました。孤独な賭を、目に見えない神が必ず覚えていてくださると信じていたのです。

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...