2016年9月29日木曜日

詩編第36編「あなたも主の慈しみに生きてください!」

詩編はきっぱりとした態度を見せる。神に逆らう者の心に語りかけるのは罪、しかし、主を知る人の上に慈しみが常にありますようにと祈る。こういう言葉を読むと、すぐに自分は神に逆らう者だと一見謙遜なことを言うかもしれない。しかし、詩編の信仰者は神だけを見つめる。主の「慈しみは天に」ある。主が人も獣をも救ってくださる。主がその翼の陰に私を守ってくださる。詩人は中立ではない。主の慈しみがないと生きられないからだ。

2016年9月25日日曜日

ローマの信徒への手紙8:31〜39 「神はわが味方」

山が崩れ、河川が崩壊するような現象を見ると、私たちは「減」の字を使って物事を捉えます。原因はいろいろあるでしょうが、山や岩が崩れ落ち、削れ、無くなっていくと考えます。しかし、専門家は同じ現象を見て、岩石の生産と表現するのだそうです。私たちが「減」として考えるものを、同じ現象を見て「生産」と捉えているというのです。これは、もしかしたら私たちが知っていることかもしれません。神を信じる者は悲しみの出来事や望みを失ってしまう出来事に、「減」ではない出来事を見ることができるのではないでしょうか。信仰の目を開いて受けとめがたい出来事を見つめ直すと、そこにも神の愛が働いていると気づくのです。新しいものが生み出されていると気づく。信仰の目を開くとはどういうことか。「もし神が私たちの味方であるならば」とこの手紙を書いたパウロは言いました。信仰の目を開くとは、神が私の味方であると信じるということです。神が私の味方でいてくださる、それは、「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか」ということです。父なる神様は、私たちのためにご自分の御子を死に渡してくださった、十字架につけてくださった。そうまでして私たちに寄り添ってくださったのです。神は私たちの味方。これは、神は私たちのための神でいてくださる、という字で言い表されています。「私たちのための神。」ある人は言います。これは、「神が、世界を、人間を、その限界を知らないほどの困窮の状況にあっても、お見捨てにならなかったということ。そうではなく、この困窮を、ご自身の困窮として担おうと欲せられた、ということだ。」神は私たちがどんな苦しみや悲しみの中にあっても私たちを見捨てられることがありません。それどころか、それをご自分の苦しみとしてくださいます。ですから、パウロはこうとまで言います。「わたしは確信しています。死も、命も、・・・わたしたちの主イエス・キリストによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」私たちのどんな苦しみも、悲しみも、死さえも、キリストの愛、神の愛から私を奪い取ってしまうことはない。どんな時にも私たちはキリストのものだ、と。今日は召天者記念礼拝なので、週報に逝去者の名簿が挟まれています。この一年、新しく一人の方のお名前が加えられました。MSさんは私にとって牧師になって初めて洗礼を授けた方です。洗礼をお受けになった時にMSさんが明確に求めておられたのは、罪の赦しでした。死が私たちを神の愛から奪い取りかねない敵になり得るのは、私たちが罪人だからです。罪人として、私たちは呪われて死ななければならない。神は、そんな私たちのためにキリストを下さって、キリストを死に引き渡されて、十字架のキリストが私たちの罪を全部引き受けてくださいました。復活させられたキリストが私たちのために神に執り成してくださいます。それならば、誰が私たちを神の愛から引き離しうるでしょう。神は私たちのための神でいてくださいます。ですから、私たちにとっての死は、もう呪われた死ではなくて、より素晴らしい命に生まれるための通路です。その先頭をキリストが進んでおられる。召天者名簿に名前が書かれた方たちは、キリストを先頭にした新しい命への行進に連なっています。私たちも続いて行こうではありませんか。

2016年9月22日木曜日

詩編第35編「あなたを見ているのは誰か」

「主よ、いつまで見ておられるのですか。彼らの諮る破滅から、私の魂を取り返してください。(17)」私の苦難を神はただ眺めているだけなのか?多くの人の問いではないだろうか。苦しめる者は私を嘲笑って言う、「私は見た。(21)」私を支配したつもりなのだろうか。詩編作者は再び言う。「主よ、あなたはご覧になっています。(22)」「私に代わって争ってください。」敵の目と神の目は違うと改めて気づく。私は必ず救われる。主の目を信頼しよう。

2016年9月18日日曜日

使徒言行録7章30節~38節「さがみ野教会40年 荒れ野の教会」

荒れ野
今日の個所の初め(30節)に、「荒れ野」という言葉があります。日本人はイメージしにくいのですが、草木がなく、岩も多く、荒廃した土地のことです。そして今日の聖書個所の最後(38節)、そこにも「荒れ野」という言葉がありました。「荒れ野」という言葉に区切られたところを、今日は、読んでいるのです。
その荒れ野にいたのが、あの出エジプトの指導者モーセで、モーセがちょうど40歳から80歳になるまでの40年間、その荒れ野で羊飼いだったのです。ところが、そこで、主(神)の声を聞いたというのです。こんなところで? と思うところ、自分の生活の場で、モーセは神の語りかけた言葉を聞くのです。その時は、一人でした。モーセは、最初は一人でいるところで 神の声を聞きました。
しかし、後ろのほうの「荒れ野」は、80歳からの40年間というときであり、その場所を指しています。80歳になったときに、モーセは神の声を聞いて、神に押し出され、エジプトにのぼって、そこで奴隷であった人々を導き出した。エジプトから導き出せば、そこは荒れ野だったのです。そこに「集会」とか「私たち」という言葉があります。同じ荒れ野であっても、今度は一人ではない。そこに「私たち」という、人の集まり「集会」があります。38節「この人(モーセ)が荒れ野の集会において、シナイ山で彼に語りかけた天使とわたしたちの先祖との間に立って、命の言葉を受け、わたしたちに伝えてくれたのです。」 - 荒れ野で、導き出した人たちと「集会」を作り、モーセは、自ら聞いた神の言葉を、その「集会」で民衆に伝えたのです。
初めの40年も、その後の40年も、共に「荒れ野」でした。しかし最初は一人で、後には集会と共に、神の言葉を聞いた、というのです。「荒れ野」に響く声、神の言葉があった、というのが、今日の個所になります。

さがみ野教会
 さがみ野教会は、40年前「栗原伝道所」として開設されました。教会にふさわしい場所を探して、濵崎先生はずいぶん苦労されたのですが、家探しをしていた時、町の中できょろきょろしていたからでしょうか。そこにいた子どもたちが言ったそうです。「変なおじさん。」先生は思ったそうです。人を見てそんなふうにしか思えない子どもたちの心に、主イエスさまを伝えなければ、と。
やがて、借りた家に、たくさん子どもが集まるようになりました。4畳半と6畳をつなげ、ひと間にした部屋に、60人もの子どもたちが溢れかえったのです。3年目に、濵崎先生から私が引き継ぐことになり、1、2年経ったある日、帰宅すると、開けっ放しの玄関から学校帰りの子どもたちが上り込んで、ラーメンを作って食べていた。教会の前の道は通学路でしたから、よく子どもが立ち寄るのですが、さすがに驚きました。道路から、毎日子どもたちの会話が聞こえてくる。「誰んちのパパとママ、別れたんだってさ。」…教会のあった場所は借家が並んでいる下町みたいでしたから、折しも裏の家で夫婦喧嘩の声が筒抜けに聞こえてくるわけです。ある日、やはり学校の帰り道、教会に子どもが飛び込んでくる。「口避け女」ってホントにいるの?怖いよ~」そんな具合でした。
今から17年くらい前、そういう子どもたちの一人が、新聞に出ていました。写真が載っていましたから、見て、すぐに分かりました。内容は、性的暴力に遭った人たちのカウンセリングをしているという、そういう事情を伝える記事でした。後日、講演にこの人をお呼びした時、ご自身もまた、そういう体験をされた当事者だと話されました。新聞には、歪んだ時計の絵が写っていました。講演の時、これは私が描いた絵です、と。被害を受けて後、治療の過程で、歪んだ時計の絵を描かれたのです。そして相当な時間と苦しみの後にようやく立ち直り、回復した今は、カウンセラーとして働いている、というものでした。
またある時は、教会を訪ねてこられた女性がいました。手にポリタンクを持っている。「お水をいただけますか。」「いいですが、どうしたのですか?」と訊くと、「占いをしてもらったら、神社とか、そういうところ、どこでもいいから行って、水をもらって飲みなさい」と言われたとのこと。
私は、思いました。この人は、体ではなく、心が、渇いている。どういう渇きかというと、占いをしてもらわなくてはならないくらい、何かに苦しんでいる。悲しんでいる。困っている。途方に暮れている。そういう渇きがある、と思ったのです。けれども、それを言わずに、ただ水道水を求めているのです。本当は「苦しい」と言わなければいけないときに、水道水しか求められなかった… 「水道の水ですよ」と断わりながら、タンクを満タンにして差し上げました。そして、とっさにコピーを1枚。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」「これはイエス・キリストの言葉です。これを読んで、よろしければまたおいでください」と、伝えました。
ああ、これが栗原伝道所、さがみ野教会が置かれた場所だったのかと改めて思います。「荒れ野」という言葉が迫って来るのです。しかしそこに教会が置かれて、そこに40年間、神の言葉が語られ、そこに確かに主イエスさまが伝えられてきたのです。
「荒れ野」とは、私たちに翻訳すれば、子どもの問題、家庭の問題、社会の問題、そして様々な悲しみ、不安、恐れ、怒り、悩みがある、私たちの生活の場のことなのです。そこに40年間、さがみ野教会を通して神の言葉が響いたのです。牧師の語る説教だけのことを言っているのではありません。皆さんの信仰の証しを通しても、神の言葉が響き続けてきたのです。

あなたをエジプトに遣わす
聖書に戻りますが、ここにモーセのことが話されています。「40年たったとき」。モーセが荒れ野で羊飼いをして40年たったとき、80歳の時に、主なる神がモーセに現れ、こう言われたのです。「エジプトにいるわたしの民の不幸を確かに見届け、また、その嘆きを聞いたので、彼らを救うために降ってきた。さあ、今あなたをエジプトに遣わそう。」 - エジプトで奴隷生活をしている人のために、彼らを苦しみから救い出し、エジプトの支配から解放するために、そのとき神が選んだのが、モーセという人だったのです。老いて、なお光(召命の声)あり。神さまは、80歳のモーセを人のために、祈りの人として、選ばれたのです。神さまの前には定年など、ないのです。
戻りますが、羊飼いをしていたモーセの前で、柴が燃えているのですが炎は燃え尽きず、不思議に思い近づいてみると、神の声が聞こえたのです。「履物を脱げ。あなたの立っているところは聖なる土地である。」 - 「あなたの立っているところ」そこは、モーセの生きた、生活の場所です。しかし、そここそが「聖なる土地」、神がおられる場所、神が、語る場所だったのです。そして最初は尻込みしていたモーセですが、ついに神にとらえられ、立てられ、遣わされていったのが、モーセの人生第三の時期となる、80歳からの40年間です。そこもまた、依然として荒れ野に変わりありませんでしたが、その40年間、モーセは神の言葉を人々に取り継ぎ、証しし、力ある働きを続け、「人々」、神の民の「集会」と共に生きたのです。
36節「この人がエジプトの地でも紅海でも、また四十年の間、荒れ野でも、不思議な業としるしを行って人々を導き出しました。」
38節「この人(モーセ)が荒れ野の集会において、シナイ山で彼に語りかけた天使とわたしたちの先祖との間に立って、命の言葉を受け、わたしたちに伝えてくれたのです。」

自分の手を引っ込める時
人生三分の二は過ぎた。残りの三分の一をどう生きようか。そのように人生の最期の日々を考えることを、最近は「終活」と言います。確かに人生の残り三分の一、その辺りの年齢の人が「終活」を考えるのはまだ少し早いかもしれません。しかし80歳前後の方は、どのように人生を終おうかと「終活」を考えるでしょう。そういう方にとって、今日のところは、興味深い記事になるのではないでしょうか。
この第三の時期に、モーセは人々を奴隷という苦しみから解放したのです。結果、40年という思いがけない長さと、さらには「荒れ野」という、課題の多い旅に生きることになりました。しかし、その荒れ野で、モーセは神の言葉を証しする役割を担うことになったのです。
35節で「人々が、『だれが、お前を指導者や裁判官にしたのか』と言って拒んだこのモーセを、神は柴の中に現れた天使の手を通して、指導者また解放者としてお遣わしになったのです。」と言います。「神は…お遣わしになった」 つまり、ここで、40年の荒れ野での働きは、(モーセが思い立って勝手にしたのではなく)神が、モーセを必要として、送り出した働きだった、ということが大事だと思うのです。
40年前はどうだったでしょうか。少し前の23節を見ます。「思い立ち」とあります。モーセ40歳のときは、思い立ったことを実行していました。「四十歳になったとき、モーセは兄弟であるイスラエルの子らを助けようと思い立ちました。それで、彼らの一人が虐待されているのを見て助け、相手のエジプト人を打ち殺し、ひどい目に遭っていた人のあだを討ったのです。モーセは、自分の手を通して神が兄弟たちを救おうとしていることを、彼らが理解してくれると思いました。」勝手に思い立ったことですから、その時は、殺人もしてしまったのですが、勝手に思い立ったことでも、しかしモーセにしてみれば周りが「理解してくれる」と思った、というのです。案の定、人々は、「『だれが、お前を指導者や裁判官にしたのか』と言って拒んだ」のです。モーセは、人に受け入れてもらえない自己中心的な善意、正義観を振り回していた。モーセ40歳の時のことですが、まだまだ若い、としか言えません。そして私たちは、モーセはエジプトの王子の立場にあったということをここで思い出すのですが、思い立ったことを実行した結果、自らのその地位を失い、荒れ野に逃れて、羊飼いになったのでした。
それから40年。80歳になったモーセは、神の声が聞こえる人になっていたのです。あの柴が燃えている場面で、「主の声が聞こえ」たのです(31節)。このモーセに対して言っています。「人々が、『だれが、お前を指導者や裁判官にしたのか』と言って拒んだこのモーセを、神は柴の中に現れた天使の手を通して、指導者また解放者としてお遣わしになったのです。」(35節)
「神は…お遣わしになった」 自分で、自分が、自分は…こうしたい、と主語を自分にしていたモーセでしたが、だから、遣りたいことをやっていた40歳のときでしたが、しかし80歳になった今、神の声を聞き分ける人に変わった、のです。そのモーセを、神が必要とし、荒れ野にあって、困難と苦しみの中にある人々の指導者として、この人を遣わしたのです。そのようなモーセの姿を通して、人々は、神に仕えるとは、神の言葉に聞くとは、どういうことかを学んだと思います。

モーセを通して分かることは、私たちは主語を「私」としてきた、ということです。神が、お遣わしになるときに、依然、「思い立った」としか言えない。自分の考えで、何とかしようとしてしまうのです。そして自分がしたこと、することを、皆、理解してくれると勝手に思い、それを押しうけたりするなら、周りにとって、こんな迷惑な話はないのです。 
はたして教会のわざは、どうなのだろうかと思う時、「神(が)…お遣わしになったのです。」私たちはそれぞれ「思い立つ」ような人生を歩んできたと思います。しかし、その人生の歩みの中で、ある日、「履物を脱げ。あなたの立っているところは聖なる土地である。」と神が言われたのです。なお依然として、自分の履物をはいている、自分を主語としている人間に、神は語りかけた。「履物を脱げ。」そこから神の物語が始まったのではなかったでしょうか。そこから私たちはキリスト者として、さがみ野教会として召し出して、この荒れ野へと送り出されたのです。

イエス・キリストを語る
ところで今日の後半、「このモーセが」という言葉と「この人が」という言葉とが、面白いリズムで、繰り返されていることに、皆さん、気づかれたでしょうか。「このモーセを」から始まって、2行後に「この人が」と続きます。また2行後に「このモーセが」 3行後に「この人が」と。特に、その38節では私たちの先祖の話かと思って聞いていると、「この人が…命の言葉を受け、私たちに伝えてくれたのです」と。
「この人」とは、モーセのことだ、ということは分かりますが、神が選び、引き出されたモーセを、「この人」と2回も置き換えている。そして「この人が…命の言葉を受け、私たちに伝えてくれたのです。」昔の話かと思っていたら、突然、「この人が」「私たちに」伝えてくれたのだと。ここにいる私たちに、です。命の言葉を受け、…伝えてくれた。
もう一つ、ついでに言えば、「集会」これは聖書のほかの場所で「教会」と訳されている字なのです。ですから、「この人」という人は、荒れ野の「教会」で、命の言葉を、私たちに、伝えてくれた。荒れ野にある教会、つまり試練がある、痛みもある、課題もある荒れ野の「教会」で、しかし「この人」は、命の言葉を語ってくれたのです。
もうお分かりでしょうか。ここで大事なのは、モーセのことを話しながら、「この人」と何度も置き換えて、教会で命の言葉を語ってくれた方、イエス・キリストを指して話している、ということなのです。モーセがしたことは、今、「この人」イエス・キリストのしたことに、つながったのだ、と言っているのです。イエス・キリストとは一言も言っていませんが、「この人」と言っているだけですが、ここは、モーセのような預言者、イエス・キリストと、そして、荒れ野にある集会、教会のことを言っているのです。36節「この人が…40年の間、荒れ野でも、不思議な業としるしを行って人々を導き出し」たのだ。38節「この人が荒れ野の集会(教会)において、…(少し飛ばします)…命の言葉を受け、わたしたちに伝えてくれたのです。」イエス・キリストこそ、40年間、教会の主であったし、だから命の言葉を私たちに伝えてくれたのです。私たちはこの40年、荒れ野の中にあって、しかし、この方によって神の言葉が取り次がれ、「集会(教会)」を形作ってきたのだと。ここに、さがみ野教会が重なってくるのです。

荒れ野の教会
私が初めて行った教会は、希望ヶ丘教会です。当時、希望ヶ丘教会を牧会されていた竹入悦夫牧師から、私は洗礼を受けました。
ところで、その父君である竹入 高(たかし)牧師は京都で牧会されていたのですが、戦時中、特高(特別高等警察。警察とは別組織で、拷問を日常茶飯事のように繰り返していた、秘密警察)に検挙されました。同時に、教会は強制的に解散させられたのです。竹入 高牧師自身は、1年3カ月に及ぶ獄中生活を強いられ、弱った体に感染したとみられる結核が悪化し、ある日、突然保釈されたのですが、保釈後、すぐに命を落としました。かかわりを恐れてでしょう、その頃、京都では葬儀を引き受けてくれる牧師は一人もいなかったそうです。当時、牧師100人を超える検挙者の内、75人が起訴され、投獄された人の内、8人が殉教しました。竹入牧師はその一人です。
教会の信仰のために「殉教」の死を遂げた竹入 高牧師のご子息は、それでも父君の信仰を受け継ぎ、父と同じ牧師となり、そして希望ヶ丘で牧会している時に、私に洗礼を授けたのです。従って私は、殉教者の信仰的な「孫」に当たるのです。そういう意味では、私には殉教者の血が流れている。その私もやがて牧師になり、私から洗礼を受けた人がいますが、すると、その人は、殉教者の「ひ孫」です。ですから、私のキリスト者としての存在自体が、そして、牧師としての存在、私が牧会したさがみ野教会という存在そのものが、かつての日本の、そのような「荒れ野」を現しているのです。いえ、その荒れ野に生きた信仰をこそ、現しているのです。竹入 高牧師が牧会された教会は、今、山科の地にある京都復興教会として荒れ野の教会をとその信仰を今に証ししていますが、それは、別にひとり京都復興教会だけではありません。さがみ野教会も、また、殉教者の血の上に、その信仰の証の上に立って、信仰のバトンを受け継ぎ、荒れ野に生きる教会の姿を、ここに希望があると、この時代、この地域に、確かに証ししているのです。

さがみ野教会のこの場所には、戦争末期、高座海軍工廠という広大な工場があり、ここで雷電という戦闘機を作っていました。教会は、その工場の敷地内にあります。戦争のための工場。まさに、ここに「荒れ野」があったのです。桜並木の道路は、戦闘機の試験飛行させていた40メートルの滑走路でした。さがみ野教会は、かつて戦闘機を飛ばした滑走路の横に(もしくは真上に)位置します。ここから、今は、イエス・キリストの福音を力強く証ししているのです。
「履物を脱げ。あなたの立っているところは聖なる土地である。」この召命によって、皆さんはこの40年、多くの神のドラマが生まれる「荒れ野の教会」を証ししてきました。これからも、さがみ野教会はこの時代の荒れ野にあって、神の言葉、イエス・キリストを証しする「荒れ野の教会」なのです。


皆さんの上に、祝福がありますように。

2016年9月15日木曜日

詩編第34編「我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ」

「主に従う人には災いが重なるが、主はそのすべてから救い出し、骨の一本も損なわれることのないように彼を守ってくださる。(20-21)」何という慰めの言葉だろうか。最後の晩餐の時の主イエスの祈りを思い起こす。「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。(ヨハ17:15)」神を信じ、主イエスの祈りに信頼しよう。主の恵み深さを日ごとに味わいながら生きよう(9)。主をたたえよ(4)

2016年9月11日日曜日

創世記1:27、ヨハネによる福音書15:16-17 「あなたは誰ですか?」


ほうかごの会に遊びに来る子どもたちが多くなり、初めて教会にやって来る子どもたちが増えました。そのためか、「教会ってどんなところ?」「礼拝って何?」と尋ねられることも増えました。そういう風に尋ねてくれるのは本当にうれしい。と同時に、どういう風に答えていいかうまく言葉を見つけられないで困る思いもありました。みなさんは「教会」っていったいどういう場所と見ているのでしょうか?▼こういう風に私は答えたいなと思います。「教会」とは、あなたが一体誰であるか、知るところです。礼拝とは、あなたが一体誰であり、なぜ生きているのかを知る時間なのです、と。これですべてを紹介できていることにはなりませんが、とっても大切な一つをお伝えできるように思います。教会は、自分が誰であるかを知るところなのです。▼「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのだ。」という聖書箇所を読みました。イエスという方が言われました。この方は、「わたしの名によって父に願うものは何でも与えられる」とまで言っています。▼知っているかもしれませんが、イエスという方は十字架に掛かりました。愛を私たちに教えてくださるためです。十字架にこそ目には見えない愛が現れています。▼イエスさまの愛とはどのようなものなのでしょうか?私に礼拝というものを教えてくれた先生がいました。坂本先生という先生です。坂本先生は小学生のときの話をしてくれました。クラスで席替えがありました。好きな人と隣同士になれる席替えでした。みんなは好きな人同士でどんどんペアになっていきます。ですが、ある女の子だけペアになれずに残っておりました。いじめられっ子でした。誰か、「○○さんと隣になってくれるお友だちはいませんか」と担任の先生は呼びかけますが、誰も手を挙げようとする人はいません。坂本先生はイエスさまの愛を知っていたので、心の中が騒ぎました。「あなたも互いに愛し合いなさい」と言われているじゃないか。でもここで手を挙げたら、何を言われるか分からない。でも、従わないでイエスさまと会うときに「ダメだったね」と言われるより、従ってみんなから「なんだお前」って言われるほうがいいや。そう思って、自分を献げるように、手を挙げたのでした。▼イエスさまの十字架というのは、このようなものであり、この何倍も大きなものでした。私たちは今も生きているこのイエスさまに、呼ばれて教会に来たのです。このお方から愛を頂くのです。「わたしの名によって父に願うものは、何でも与えられる。」イエスさまの名によって、というのはイエスさまの生き方を願ってということ。イエスさまの愛に生きようとするときに、必要なものはすべて、天の父が私たちに与えてくださるのです。自分じゃできないなって思う。でもその思いも、根拠にはならない。私たちは、最初は何にも持っていない。主イエスに選んでくださって、初めて私たちはお互いに愛する者になれるのです。私たちはそのような生き方に生きてほしいと招かれている子どもなのです。イエスさまのお父さんを、私たちもお父さんと呼べる神の子なのです。

2016年9月7日水曜日

詩編第33編「主を畏れる者の喜びの歌」

主が御言葉をもって世界を創造された。大海の水をせき止め、深淵の水を倉に収められた。この御業は遙か昔の神話ではない。今なお続く神の御支配である。だから、詩編作者は告白するのだ。「いかに幸いなことか、主を神とする国、主が嗣業として選ばれた国は。」今、主を神として生きる幸い、主に選ばれた者の幸いを喜ぶのだ。魂の深みから主を待ち望む。兵の数や軍馬という人間の計算や計画では及ばない勝利を賜る主を信じているのである。

2016年9月4日日曜日

マルコによる福音書6:30-44 「われらを生かすイエスの憐れみ」

「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有り様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。」これは、イエス・キリストの憐れみの物語です。たった5つのパンと2匹の魚を増やして5000人を養ったというすごい奇跡の話ではありません。福音書を書いたマルコはそういう関心はありません。ですから、そもそもマルコはパンが「増えた」とすら書いていない。そのようなことよりも、イエスの深い憐れみ、激しく胸を痛める同情を強く伝えています。群衆は「飼い主のいない羊のような有り様」でした。これはちゃんと治めるべき王がいないイスラエルを表す言葉です。昔から、預言者たちがこういう言葉で私利私欲を求める不誠実な王を批判してきました。実際に、この群衆にどういうことが起こっていたのでしょうか。今日の箇所の直前を見ると、洗礼者ヨハネが殺されたということが書かれています。ヘロデ王が自分の兄弟の妻を嫁にしたことをヨハネが批判したのを疎ましく思い、首をはねたのです。権力者、力を持つ者が自分の好き勝手に振る舞う世界。そこに生きる群衆をご覧になった主イエスは、その飼い主のいない羊のような有り様を深く憐れまれました。ローマ・カトリック教会の教皇フランシスコが『福音の喜び』という本を書いています。圧倒的な消費の提供を伴う現代世界の最大の危機は個人主義のむなしさ。このむなしさは、楽なほうを好む貪欲な心を持ったり、薄っぺらな快楽を病的なほどに求めたり、自己に閉じこもったりすることから生じる。私たちはそのむなしさに捕らわれていないか、福音の喜びを隣人に届けることに無関心になっていないかと問います。胸に突き刺さります。今の日本にはヘロデのような王はいません。国民主権の国です。国民が王です。もしかしたら、その王たる国民、つまり私たちがヘロデの顔をしているのかもしれません。世界には神の憐れみを必要で、キリストはこの世界の町や村にご自分の弟子たちを派遣なさり、傷つき、痛んでいる世界が福音の喜びに触れて、一緒に喜ぶことができるように望んでおられます。これは私たちの頑張りではどうにもならない課題です。鈴木淳牧師が、あさひ伝道所の伝道教会設立に寄せて、こんなことを書いておられました。私なりの要約です。「自分たちは華々しく教勢を展開できているわけではない。開設以来、私なりにあらゆる努力をもってチャレンジしてきた。なぜ、という思いもある。もしも人の努力や才能が宣教における成長の大きなファクターだとしたら、介護事業フレンドシップあさひの成長と共に教会も成長しただろう。そうはなっていない。ここには人知を越えた神の領域があるのだと思う。神の前で謙遜な努力を重ねたい。」主イエスは、ヘロデの世界に遣わされた弟子たちが帰ってきたとき、「人里離れた所に行って、しばらく休むがよい」と言われました。「人里は慣れた所」とは祈るための場所という意味です。弟子たちが祈っている間に、主イエスは、ご自分にしかできないことをなさいました。わずかなパンと魚で人々を養われたのです。100人、50人の組、12の籠、5000人というのはイスラエルを表す象徴的な数字です。主は弟子たちが休んでいるときにもなお働いて、ご自分の民である教会を生み出されます。主の御業に信頼をして、私たちは主が渡されるままにパンを配ります。イエスの憐れみが生み出す食事、福音の喜びを、私たちは運んでいくのです。

2016年9月1日木曜日

詩編第32編「罪を告白する幸い」

七つの「悔い改めの詩編」の一つである。言葉も出ないほどに呻き、苦しんでいる。神の御手が重い。夏の日照りの厳しさを通してその重さを知る。そのときに、詩編作者は「主に私の背きを告白しよう」と言った。ホーソーンの『緋文字』は罪を告白した女と隠し通そうとした男の物語である。告白しようとしなかった者はその圧迫に耐えられなかった。罪の告白は実は幸いなのだ。その分別は主の慈しみ生かされている事実を気づかせる。

詩編第82編「地の基は揺らいでいる」

「地の基はことごとく揺らぐ。」恐ろしい言葉だ。私たちが大地のように信じ切っている価値観や判断材料、当たり前と思っていることがことごとく揺らぐ。私たちはそれに堪えうるのか?私たちは当たり前のように神に背き、弱者や孤児を食い物にし、苦しむ者や乏しい者の正し...