2016年10月16日日曜日

ローマの信徒への手紙第1章1から15節「呼集」

先週後半は体調を崩してしまい、特に金曜日は心も弱っていました。朝起きたときから後ろ向きな気持ちになっていました。しかし、早天祈祷会で開いた聖書の言葉にとても慰められました。私たちはキリストの教会です。福音を共有することで一つになります。12節に「あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです」とあります。「励まし合う」と訳されているのは私がとても好きな言葉で、慰めという訳が充てられる時もあります。「隣で呼びかける」という字です。傍らにいて、心から心に語りかける慰め・励ましの言葉。それは「御子の福音」とパウロが呼んでいる福音の言葉です。私たちはイエス・キリストに救って頂いた。この福音を分かち合うことで、パウロとローマ教会は、まだ顔と顔とを合わせてあったことはないけれど、同じ慰め・励ましを共有していました。先週の説教でも申したとおり、小会は今新しい伝道プランを立案しています。一人でも多くの人にイエス・キリストの福音の言葉を聞いてほしいと願っています。昨日、日本語教会支援小委員会でルイビル日本語教会の佐藤岩雄先生とビデオ会議をしました。会議の後の雑談から発展して、今小会で話し合っているプランについてかいつまんで話す機会に恵まれました。とても喜んで聞いてくださったのです。佐藤先生は福音を宣べ伝える情熱だけで生きておられるようなところがありますので、我が事のように喜んでくださいました。福音の言葉は、宣べ伝えている者自身が、その言葉によって励まし・慰めを頂くことがままあります。パウロは「御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕え」ました。私たちも同じです。神を信じ、福音を信じることの何と素晴らしいことでしょうか。早天祈祷会でも使っている『日々の聖句』の今朝の新約聖書の言葉はこれです。「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」すごい言葉です。「永遠の命」=「神とキリストを知ること」。この言葉もまたキリストを知るこのあまりの素晴らしさを語り出しています。今から12年前のちょうどこの季節に私たちの教会の姉妹教会、希望が丘教会の牧師の瀬底正義先生が亡くなりました。瀬底先生の愛唱聖句の一つはイザヤ書43:19だったそうです。「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる。」神様はもうすでに新しいことを始めている。それが見えるかってチャレンジを受けているのだ、とおっしゃっていた。過去ではなくて、神様が新しいことを始めておられる将来をいつも見つめていました。この一人のキリスト者も、キリストを知り永遠の命に生きる素晴らしさを味わい尽くした方です。このローマの信徒への手紙が言う「御子の福音」とは、4節を見ると、「死者の中からの復活」と呼ばれています。私たちに永遠の命が与えられたのは、キリストが復活させられたからです。カール・バルトという神学者がこのようなことを言いました。「石は墓の入り口から転ばし除けられた。言葉は流れ出る。イエスは生きてい給う。」イエスの墓を塞いでいた石が取り除かれた今、福音の言葉を防ぐ障害はありません。言葉は流れ出ます。この町でも、あの町でも、福音は宣べ伝えられる。これこそキリストの復活の証しなのです。イエスは生きておられる!

2024年4月16日の聖句

私の神である主は、私の闇を光となしてくださる。(詩編18:29) これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所から曙の光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの足を平和の道に導く。(ルカ1:78~79) 主なる神さまの憐れみの心によって。これが...