神を渇望する渇いた魂。神の御前に出たい、いつ御顔を仰げるのか、昼も夜も涙を流している。絶え間なく言われているのだ、「お前の神はどこにいる」と。イメージ豊かな詩編だ。しかし、そのイメージが絶望の深さを色濃く映し出す。私も神を求める。昼も夜も。しかし、呻きつつここまで激しく求めているのだろうか。この詩編の渇望を最も深くご存知だったのは主イエスである。十字架の上で主は言われた。「渇く。」主の渇きが私をいやす。
2024年4月20日の聖句
私は必ずあなたを助け出す。剣に倒れることはない。あなたの命はあなたの戦利品となる。あなたが私を信頼したからであるーー主の仰せ。(エレミヤ39:18) イエスはその犯罪人に、「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカ23:43) 主イエスが十字架の上で...
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主イエス・キリストが、安息日になるといつものように会堂に入り、聖書を朗読なさいます。これだけでもう慰め深い言葉です。私たちは今主がそうなさったのと同じように、私たちの安息日である主の日、日曜日に教会堂に集まって礼拝を献げています。今日、ここに来られな...
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詩編29~30 主は洪水の上に座し 主は王として、とこしえに座した。 主がその民に力を与えてくださるように。 主がその民を祝福してくださるように 平安のうちに。(30:10~11) 川の水はかの平清盛にさえもどうにもならないと言わしめたと聞き及んだことがあります。私たち人間の...
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今日の通読箇所:ルカによる福音書7:24~50、ヨシュア記1 8、詩編124~125 ヨシュア記18; 「あなたがたの先祖の神、主が与えられた地に入り、所有するのを いつまでためらっているのか(3節)」。すでにイスラエルの五つ の部族には所有地が割り当てられましたが、 まだ...