2016年11月24日木曜日

詩編第44編「格好を付けるのは信仰者としては敗北」

今、神はかつてのように私たちに勝利を得させてくださらない。もう我らを見放された。この信仰者はそう思い、この詩編の言葉を祈っている。それでも私たちは主との契約を空しいものとはせずに主の道を歩んできた。しかし・・・。そういう詩編だ。信仰者の一途な思いと神に寄せる望みが絶たれる絶望、その中でもなお祈るしかない。取りすがる。決して格好のいい話ではない。一縷の望みとして神を求める。それしかない。私もこうありたい。

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...