2016年12月25日日曜日

ヨハネによる福音書第16章33節 「クリスマス、それは勝利の日!」

今日はクリスマスです。教会にはクリスマス、イースター、ペンテコステと三つの大きな祝いがありますが、クリスマスが一番新しいようです。いつクリスマスを祝うかと言ったときに、一説によると冬至の時期を選んだ、と聞きます。一番夜が長い、闇が深まった時期。そこから日が昇り、少しずつ昼が長くなっていく。それがクリスマスの出来事に重ね合わせられたと言うのです。クリスマスの意味をよく表した逸話だと思います。この一年はどういう年でしたか?闇が深まり、心配や不安の中、苦しみの中を歩んでこられた方も少なくはないと思います。そういうときにはいろいろな趣味で発散することも大切です。私の最近はじめた新しい趣味はスパイスカレーです。いい気分転換になります。しかし、気分転換をしても、根本的な解決にはなりません。では、どうしたらいいのか?「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである」と主イエスは言われます。私たちが平和(以前の口語訳では「平安」と訳していました。)を得るために、キリストが語りかけていてくださいます。キリストの語りかけこそが、私たちを闇の中から救い出すのです。キリストは平和、即ち平安を与えてくださいます。私たちと神との間に。それは何よりも大いなる安心、平安、救いです。しかし、新共同訳聖書がこの単語を平安ではなく「平和」と訳したのは、個人的な心の中の出来事と受けとめられないように、ということなのだと思います。「あなたがたには世で苦難がある」と主イエスは言われました。その言葉の通り、この世界は今苦難に覆われています。この一年は国際秩序が大きく変わっていく年でもありました。今年出版された本で、そういう一年を象徴するタイトルであったのは『中東から世界が崩れる』という高橋和夫さんの本です。2016年はサウジアラビアとイランの国交断絶から始まりました。シリアの内戦は収まりません。たくさんの難民が産み出され続けています。欧州のいろいろな国の選挙結果で排外的な政策を掲げる政党が勝ったことや、英国のEU離脱を巡る国民投票、米国大統領の選挙などの一つの原因になっているのでしょう。もちろん、他にもたくさん原因はあるのでしょうが。中東から、これまでの世界秩序が崩壊してきています。まことに厳しい現実です。一体、どこに行ったら平和が見つかるのでしょう。「平和」という言葉を聖書の中で探してみて、このような主イエスの言葉と出会いました。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな」(ヨハネ14:27)。「世が与える平和」と主イエスは言われます。今の世界は良い言葉を求めていると思います。よく多様性とか寛容という言葉を聞きます。違った者を受け入れよう、と。それ自体はすばらしいことです。しかし、反面、多様性や寛容に社会が疲れた結果、それと正反対の主張をする人々が選挙で勝っているのかも知れません。多様性も寛容も良いけれど、結局俺たちの生活をどう保証するんだ、と。キリストが与えてくださる平和とは何なのか?ここで、再び「平安」という言葉の深い意味に気づきます。神との平和、平安なしには人と人との平和は成り立たないのです。私は既に世に勝っているというキリストの勝利は十字架にかけられるという勝利でした。そうして神と私たちとを平和にしてくださいました。クリスマスは途方に暮れるしかない私たちの世界に神ご自身が飛び込んできてくださった日です。目の前にいる一人の人を、真剣に、キリストがこの私にそうしてくださったように愛したい。

2024年4月19日の聖句

ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。(創世記6:22) (イエスの言葉)「私のこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」(マタイ7:24) 風水害や地震などの自然災害の多い場所に住んでいると、今日の主イエスの言葉はよく分かります。「岩の...