今年の5月まで、さがみ野教会は宣教40周年である。教会の公式な記録には残らない歴史がある。この教会で人知れず流された涙の歴史である。一人でむせび泣いた記録は公の場には残されない。しかし、神はそれをご存知なのだ。「あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。あなたの記録にそれが残っているではありませんか。あなたの皮袋にわたしの涙を蓄えてください。」そして、涙を流しながら献げた讃美を、主は覚えていてくださる。
2024年5月1日の聖句
5月の聖句: 私には、すべてのことが許されています。しかし、すべてのことが益になるわけではありません。私には、すべてのことが許されています。しかし、私は何事にも支配されはしません。(1コリント6:12) 今日の聖句: 私があなたと共にいて救い出すーー主の仰せ。(エレミヤ30:11...
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主イエス・キリストが、安息日になるといつものように会堂に入り、聖書を朗読なさいます。これだけでもう慰め深い言葉です。私たちは今主がそうなさったのと同じように、私たちの安息日である主の日、日曜日に教会堂に集まって礼拝を献げています。今日、ここに来られな...
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今日の通読箇所:ルカによる福音書7:24~50、ヨシュア記1 8、詩編124~125 ヨシュア記18; 「あなたがたの先祖の神、主が与えられた地に入り、所有するのを いつまでためらっているのか(3節)」。すでにイスラエルの五つ の部族には所有地が割り当てられましたが、 まだ...
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詩編29~30 主は洪水の上に座し 主は王として、とこしえに座した。 主がその民に力を与えてくださるように。 主がその民を祝福してくださるように 平安のうちに。(30:10~11) 川の水はかの平清盛にさえもどうにもならないと言わしめたと聞き及んだことがあります。私たち人間の...